思い出の製麺所

こんにちは、佐藤です😊

 

今日は珍しく、食べ物の話しでも旅行の話でもありません✨
と言っても、歯の話でもありません✨笑

 

私の住んでいる所のお話です🏠

 

私は小学校1年生の時に、祖父母の住む家🏠に引っ越してきました。
それから25年間、今も住んでいます。

 

そんな私の家の前には、私が産まれる前から小さな製麺所があります。
うどんを主に製造していて、神戸市内の飲食店等に配達しています。
従業員は社長と事務のおばさん、働いているおじさん、合わせて10人程度の小さな製麺所。
朝は早く、4時頃に社長は出勤してきて仕事を始めます。
私が出勤する8時頃には商品を軽トラへ詰め込み、出発していきます。
社長は私を見つけると、大声で「おはようさん!!」と声を掛けてくれます。
私のいつもの朝です。
休みの日の朝は、従業員のおじさんと社長の大きな声で目が覚めます。
これもいつもの事。

 

小さい頃のアルバムを見ると、七五三や夏祭り、獅子舞、
家の前で遊んでいる写真には必ず製麺所が写っています。

 

家で1人で遊んでいて、暇になると製麺所に入っていき
おじさんの仕事の邪魔をしていました。

 

お昼ごはんの時、うどんが足らなくなるとボウルを持って買いにいきました。

 

 

そして阪神大震災
社長は近所の人にうどんを配り、製麺所の奥にある井戸水をわけてくれました。
その夜は、姉と製麺所のトラックの中で一晩を明かしました。

 

それから10年後
大人になり朝帰りをすると、社長に大声で「おかえり!!」と笑われました。
大きなスーツケースを抱えた私を見ると、
「どこ行くん?ええなぁ。気ぃ付けてな!」と見送ってくれました。

 

それからもう10年
だいぶ白髪の増えた社長が、いつもの通り大声で「おはようさん!!」と声を掛けてくれます。

 

でも最近、そんな社長の姿が見えません。。
働いているのも、なんだか見た事ない人ばかり。

 

社長は病気になったそうです。
そして製麺所は親戚の方が引き継いだとの事。

 

その数ヶ月後、製麺所を閉めます。
と、親戚の方が挨拶にこられました。

 

母はその時、社長の容態が聞けませんでした。
良くないような気がして。。。
私も姉も心配していました。

 

ところがある日、姉の勤める医院に偶然社長が来られました。
姉は思わず「社長さん!!覚えていますか?製麺所の前の佐藤です。」
と声を掛けました。「あぁ✨!そうか!覚えているよ」
私達の記憶の社長とは変わって、だいぶおじいいさんになった社長。
奥さんに付き添われての来院だったそうですが、お元気そうだったとの事です。
それを聞いて、私も母も安心しました。

 

社長とそんなに親しかったわけではありません。
私は社長の名前も知りません。

 

でも、物心ついたその日から、
いつもそこにある製麺所。
いつそこにいる社長。
いつもそこにある風景。

 

当たり前の物が突然なくなると、とても寂しい気持ちになります。

閉めますと聞いてから、解体工事がはじまりました。
わたしが引っ越して来て25年間見続けてきた製麺所は
数週間で更地となってしまいました。
ほんの一瞬で。

そうこう言いながらも、日々は過ぎていきます。
社長は元気にしているかな?
と思いながら、今もブログを書いています。

私もいつか、誰かの思い出に残るような素敵な人になりたい✨!

そんな事を想う30代の春です🌸
佐藤

坪内歯科医院

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